
酒井なつみは、看護師・助産師として昭和大学江東豊洲病院の周産期センターなどで働き、子宮頸がんや不妊治療を乗り越えた一児の母でもある。
5年前から江東区議会議員として区政に携わり、11月16日の記者会見で、江東区長選挙へ挑戦する決意を表明した。彼女のライフストーリーと、みんなでつくりあげていく江東区の未来を聞いた。

酒井なつみは、看護師・助産師として昭和大学江東豊洲病院の周産期センターなどで働き、子宮頸がんや不妊治療を乗り越えた一児の母でもある。
5年前から江東区議会議員として区政に携わり、11月16日の記者会見で、江東区長選挙へ挑戦する決意を表明した。彼女のライフストーリーと、みんなでつくりあげていく江東区の未来を聞いた。


人生を決めた言葉と幸せばかりじゃない出産
―「お母さんが明るく子育てできれば、世の中はきっと明るくなる」という言葉に感銘を受け、助産師となったという。
自立した女性になりたい、人の役に立ちたいと看護の道を選びました。この言葉で、「出産育児を私たちがサポートすることで社会を良くできるんだ」と一気に視野が広がり、助産師を目指すことにしました。
― 福岡県から上京して産婦人科で看護師として勤務し、4年後には助産師に。妊婦や産後ママへの育児相談・指導をしていると、酒井が目指していた「明るい子育て」とはほど遠い、孤独な親たちの姿があった。
核家族化や晩産化が進み、夫婦だけの育児やハイリスク出産などつらい事例をいくつも経験しました。江東区議としてのこの数年でも、コロナ禍だったこともあり、さらに行政や家族からの子育て支援を受けにくくなった妊婦や産後ママが、孤独に陥る姿を目の当たりにしています。「現代の家族」の実態にあった支援が必要です。
―「とにかくがむしゃらだった」という出産現場で、印象に残っている場面は?と聞くと「グリーフケアかな」とぽつり。
お腹の中で亡くなった赤ちゃんを出産しなければならないお母さんの悲しみは、言葉で表せません。妊娠・出産とひとくちに言っても、みんなが幸せに生まれてくるわけじゃない。流産・死産を経験した家族へのケアにも力を入れています。

子宮頸がんで気づいた 「私にできること」

― 酒井の人生が一変したのは、28歳のとき。子宮頸がんにかかった。子どもを持ちたいと考えていた矢先だったという。
目の前が真っ暗になりました。当たり前のように続いていくと思っていた人生が終わるかもしれないという恐怖。どう人生を歩むのか、私にできること、やりたいことを本気で自問自答するようになりました。
― 治療ではがん専門の病院に通院。
若者も含めたがん患者の多さに驚きました。こんなにたくさんの人が、抗がん剤治療で外見が変わったり、仕事を辞めたりと闘っているのに、公的なサポートを身近に感じることができない。これはおかしい、と思いました。
がんの闘病には年間100万円を超える医療費がかかり、20代の私にとって経済的な負担は大きかったです。議員になってから、がん患者への支援に取り組んだ結果、2022年「ウィッグ・胸部補整具の購入費助成事業」をスタートさせることができました。また、2022年から不妊治療に保険適用が拡充されましたが、がん患者や子どもを持ちたいというカップルへの支援がさらに広がるよう取り組みを進めていきます。
江東区を古い政治に後戻りさせたくない
― 汚職・隠ぺい・不正・違反など、江東区では、驚くばかりの不祥事が相次いでいる。
区民の政治不信が高まっていることを実感していて、区政に携わってきた者のひとりとして、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今ここで、利権やお金にまみれた古い政治ときっぱり決別し、子どもや女性やお年寄りなど、54万区民のひとりひとりに寄りそう新しい江東区を、心機一転みんなでつくっていくべきです。
正直で公正な江東区長が求められていると確信しており、「区民との対話」を重視する区長に私がなる決意を固めています。
― どんな政策に取り組んでいくのか
子ども最優先の「子育て先進区」にすることにいちばん力を入れていきたいです。小中学校の学校給食費は、来年度以降も無償化が当然ですね。そして、権力の腐敗を招くことのないように、区長の任期を3期までとする「多選禁止条例」をつくります。
また、「がんばるあなたを独りにしない」というフレーズも前面に掲げて、高齢者・障害者・外国人など誰もが安心して暮らせる街をめざすことや、生活困窮・虐待・DV・性暴力・居場所の問題など生活に困難な問題を抱える区民を全力支援していくことにも、本気で取り組んでいきます。江東区で暮らす皆さんの生活を、自由で豊かで幸せなものにするお手伝いをしていきたいですね。
